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孟廟と孟府
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孟廟は亜聖廟ともいい、曲阜から28キロで、鄒県の南関にある。亜は次の意。中国では、孔子に次ぐ人物であるとされ、「亜聖」とよばれる。孟廟は、代々孟子を祭ってきたところ。
孟子は曲阜の南隣,鄒(すう)県の生れ。幼少の時父が亡くなり母の手で育てられました。母が孟子の教育のために三度も住居を引越した「孟母三遷」や,織っている布を断って学問の中絶を戒めた「孟母断機」の逸話は有名です。
北宋の景祐4年(1037)、孔子の45代の孫である孔道輔が、四基山で孟子の墳墓を探しあて、その傍らに廟を建立したが、県城から遠くて不便なため、宣和3年(1121)に現在地に移した。
孟府は鄒県の南関、孟廟の西隣にある。
孟子の直系の子孫が暮らしてきたところで、造営年代は不詳であるが、孟廟が移設された北宋の宣和3年(1121)から間もないころと思われる。元の至順2年(1331)に孟子が鄒国亜聖公に封ぜられたので、亜聖府と呼ばれ、明代にかなりの規模に達した。
表側が役所で大堂が中心、その奥が住宅で典型的な四合院のつくりである。
孟府の漢代の刻石がある。莱子候刻石はその中で一番貴重なものです。中国書道発展の中で非常に重要な地位を占めている。書風は素朴で、古隷の代表作である。 |
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